『みんな、自分が可愛い。だからこそ思いやりたい』

47歳からの気づき・学び

今日は、ある養鶏所へ仕事のお手伝いに行ってきた。

以前、自分がやっていた作業の操作方法を伝えるという目的もあった。

自分はそこでの仕事は、会計以外ならほとんどできる(笑)。

今日は、ある作業を一人の方に覚えてもらえればと思っていた。

ところが、その方は「やらない」の一点張り。

結局、自分は別の仕事をしながら一日を終え、その操作方法を伝えることもなく終わった。

今日は24,300歩。

体力仕事もかなりした。

身体は間違いなく疲れている。

でも、それ以上になんだか心が疲れた。

正直、今日は一日モヤモヤしていた。

そんな帰り道、ふと思った。

みんな、自分が可愛いのかな。

もちろん、自分だってそうだ。

自分を守りたくない人なんて、ほとんどいないと思う。

嫌な思いはしたくない。
損もしたくない。
面倒なこともできれば避けたい。
自分の考えだって分かってほしい。

それ自体が悪いことだとは思わない。

でも、みんなが「自分、自分」と自分のことばかりを先に出してしまったら、どうなるんだろう。

お互いに一歩も引かなければ、ぶつかる。

「自分はこうしたい」
「自分はやりたくない」
「自分は間違っていない」

それぞれに言い分があって、それぞれが自分を守ろうとする。

もしかしたら、身近な人間関係の揉め事や争いも、そんなところから始まるのかもしれない。

そして、今日の小さな出来事から考えるには少し話が大きくなりすぎるかもしれないけれど、国と国との争いや戦争だって、根っこのどこかには似たものがあるのだろうか、と考えた。

もちろん、そんな単純な話ではないと思う。

でも、自分のことだけではなく、相手の立場を少し考える。

自分の考えを押し通す前に、相手の考えにも耳を傾ける。

自分を先に出すのではなく、ほんの少し相手を尊重する。

みんなが少しずつでもそんなことができたら、身近な揉め事は今より減るんじゃないかな。

……なんて思った。

偉そうに書いているけれど、自分だって人のことを言える人間ではない。

むしろ最近、自分自身にも「自分を守ろうとしすぎているところがあるな」と感じることがある。

だから今日感じたモヤモヤを、相手への不満だけで終わらせたくない。

自分は相手を思いやれているのか。

自分の都合ばかりを先に出していないか。

今日の出来事は、そんなことを自分自身に問いかけるきっかけになった。

24,300歩動いて、身体もクタクタ。

そして心も少しモヤモヤ。

今日は無理にスッキリした答えを出さなくてもいいかな。

こんな日があったことも、47歳からの逆転の途中の一日として残しておこうと思う。

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